シリーズにしています、霊能者の娘に生まれて、どんな人生だったかを紹介する、今回は二回目になります。

第一弾でもお話したように、娘の私は思春期はひどいものでした。その時、母はまだ実家の家業を手伝っており、霊能者を名乗ってはおりませんでした。思春期の娘に手をやきながら、一男一女を育て、家相や歴史について勉強しながらプロに転向するまで実力をつけてきました。

我が家の庭の石や、母の実家の庭の木に人型や動物が現れることがあったり、特にピンポンを鳴らされる、車のクラクションを鳴らされる、こんなことは日常的にありました。夜中にされるのがイヤですね(笑)普通の方達にはわからない世界があります。私は茶化して自分の家を魔界と呼んでいました(笑)聞いてもらえるとわかると、霊は集まってきてしまいます。母に助けてもらいたいから集まってきてしまってるんです。

仏の里へ帰せる人はごく僅か。霊能者でも正直レベルがあります。母は今まで同業者にも何人か会ってきていますが、自分より強い人はいなかったといいます。私が幼い頃に、テレビでも有名な青森の木村藤子さんに会いにいきましたが、木村さんはすごかったと唯一いっています。一緒に撮影した写真もあります。またの機会にこちらに公開しようとおもいます。

しかし母はどんなに有名になっても、絶対にテレビには出ない、本も出さないとずっといっています。愛知県の霊能者でいい。地元の方が気軽にみてもらえる霊能者が理想。本来、霊能者は古来からそういうものである。と申しております。